なるほど!
メガネのウンチク
知っているとちょっとうれしい、
メガネに関するウンチク話をご紹介します。
レンズは何語?
レンズは、もともとはラテン語で、名前の由来である「レンズ豆」はヨーロッパでは古代から食べられていた豆です。この「レンズ豆」は、和名を「ヒラマメ」といい、その名のとおり平たく押しつぶされたようなかたちをしています。このため、昔のイタリアの人々は、レンズ豆のかたちをしたガラスを「ガラスのレンズ」と呼んでいました。それがいつの間にか、「レンズ」という言葉だけになって、広く世界の人々に使われるようになったのです。
紀元前、レンズは火をおこす道具だった!
メガネはレンズを使って視力を補正する道具です。レンズのルーツをたどると、紀元前三世紀頃、既にインドやバビロニア(現在のイラクあたり)、エジプト、ローマ、中国には水晶やガラスで作った凸レンズ(真ん中の方が厚いレンズで、遠視と老視用に使われます)が存在していました。この頃は太陽の光を集めて火をおこす“火とりレンズ”に使われていました。レンズを作ることは大変な作業で、数も少なく、神聖なものとして扱われていたようです。
メガネはいつ、誰の発明?
メガネとレンズではレンズが先に発明されたようですが、ではメガネはいつ発明されたのでしょうか?メガネは、13世紀後半にイタリアで発明されたと考えられています。当時、レンズ素材として不可欠な透明度の高いガラスの品質は、ヴェネツィアン・グラス(イタリア・ヴェネツィア産のガラス)が群を抜いて優れていました。発明者については諸説ありますが、いまだに発明した人は分かっていません。以下は諸説です。
- 諸説1
- イギリスの高名な科学者、ロジャー・ベーコンは光や眼について多くの実験を行い、著書の中でレンズを通して文字を見ると「文字は大きく、はっきり見える」とその効用を述べていますが、ベーコンが発明者という説は正しくないようです。
- 諸説2
- スピナという修道士は大変器用で、メガネをまねて作り、人々にわけたと伝えられていますが、スピナは発明者と知り合いだったと言われており、スピナ自身が発明者であるということではないようです。
メガネの形の移り変わり
初期のメガネ(14〜17世紀頃) 初期のメガネは手に持つか、細心の注意を払って鼻の上に乗せて使っていたようです。
ツルつきメガネ(18世紀頃) 1730年頃にイギリスのロンドンのメガネ屋が今のツルつきメガネの原型を発明したと言われています。1800年頃になって、ようやくきちんと固定できるツルつきメガネがあらわれ、デザインもバラエティーに富んできました。
鋏メガネ(18世紀末頃) 18世紀末のフランスで伊達男の間に大流行した鋏メガネ。メガネを支える取っ手が、鋏で鼻を切るように見えたのが名前の由来です。
柄つきメガネ(19世紀頃) この頃まではメガネはほぼ男性のためのものでしたが、次第に柄つきメガネがあらわれ、折りたたみタイプなど実用性も増し、美しいデザインのメガネは社交界の女性の間でも流行するようになりました。
メガネの普及と印刷機の関係
イタリアで発明されたメガネは1400年代にはヨーロッパに広まっていきましたが、高級品だったメガネは、一般の人には高嶺の花でした。そのメガネが世界に広まった背景には印刷機の発明がありました。
1448年の新しい印刷機の発明により、急速な活字文化が進んだ結果、メガネを必要とする人々が増加しました。メガネを作る職人も多く誕生し、メガネ店ができ、メガネ作りも本格化していきました。この頃、老視用のほかに、近視用のメガネも作られるようになりました。
日本のメガネ
13世紀後半にイタリアで発明されたメガネは、300年程経った1549年、キリスト教宣教師、フランシスコ・ザビエルが、周防(山口県)の大名、大内義隆にメガネを贈ったのが最初といわれています。数年後、同じく宣教師のフランシスコ・ガブラルが織田信長と対面した際、彼が近視用のメガネをかけていたので、信長はじめ一同がたいへん驚いたという記録が残っています。レンズの本格的な国内生産がスタートしたのは、明治時代に入ってからです。ウィーンで開催された万国博覧会に出席した朝倉松五郎が、レンズの研磨法を学んで帰国したことがきっかけでした。
遠近両用レンズの誕生
老視用のメガネレンズが最初に誕生し、その後近視用のレンズが開発されました。そして1760年頃にはアメリカの政治家、ベンジャミン・フランクリンによって、遠くも近くも見える遠近両用レンズが開発されました。いわゆる境目のある遠近両用レンズの元祖です。